からすやまの民話 | |||
徳川八代将軍吉宗公のおそばに仕え、政ごとをたすけた人たちの中に大久保佐渡守常春という人がおりました。 その頃、上は大名侍から下は百姓町人にいたるまで、贅沢になれ「江戸っ子だ宵ごしのお金はもたねえ」などという 幕府はたびたび倹約令を出しましたが、ききめがありませんでした。 そればかりか、将軍さまのお膝もとの台所などにも、むだづかいが多く将軍さまがおそばの役人たちと、酒をくみか 常春がある日台所にきて、役人達のようすを見ていると、樽からひつような酒を出すとまだ三分の二ほど残っている 常春は「酒樽から酒はこうして汲むものだ」と樽の蓋を除き、柄杓で量らせ、「公のものを私してはならない」とこ 役人達も、その非をさとり、あらたまったということです。 それからというものは、この柄杓を「佐渡柄杓」というようになりました。 常春が佐渡守だったからです。 常春公はのちに老中職の重職につき、享保10年(1725)烏山3万石の城主となりました。 常春公病没すると、将軍吉宗はその死を悼み、常春公の座像をつくり嫡子忠胤に贈りました。 烏山町中央一丁目の三の丸跡の寿亀山(じゅきさん)神社の御神体として、その像が祀られております。 【寿亀山神社境内】 -------- 出典「民話の里からすやま」 烏山町誇れるまちづくり委員会 昭和61年刊行 --------
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